目先のちっぽけなこと。隅々まで徹底すること。

とあることで、例のカフェのマスター夫婦から相談を受けました。

Portside Cafe © by saitowitz

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私の方が年長なこともあってか、色々なことを相談してくれるのですが、今回は少し深刻そう。それで、自分なりの精一杯のアドバイスをし、手助けをすることも伝えたのですが、話しているうちに自分にも言い聞かせるような内容になっていったので、そのことを書こうと思います。

もしかしたらとても偉そうな話になるかも知れません。

 

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私はたぶん少し変わり者だと思います。たぶん「変な人」ではないとは思いますが…。

相談を受けると、自分なりにその人に一番いいアドバイスをしたいとは思います。ただ、「考え方」や「姿勢」に関わることになると、客観的なアドバイスなどできません。自分の経験や考えを話すしかないのです。そして如何せん変わり者なので、変わり者の考えを伝えることになります。

彼らも私も自分で新たな商売を始めたばかり。相談内容はもちろん商売の話です。そしてそれはどうやって売上・利益を上げるか、ということに繋がっています。

相談の具体的な内容は書かないのでわかりにくいとは思いますが、顧客とどう向き合って行けば良いか、という話題です。

 

私はこんなことを話しました。

 

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目の前の問題をとりあえず何とかするだけなら、きっと幾つかの選択肢があると思う。「普通はこうするか、ああするかだよなあ」というようなやり方。でも、この店にはこの店のやり方があるはず。普通はどうするのか、ではなく、自分達のやり方で解決すべきだ。

そのやり方というのは、この店のどこを切り取っても貫かれているはずの何かだと思う。客に何をサーブしたいのか、何を感じてもらいたいのか、このお店の何を好きになって常連になってもらいたいのか。

料理の材料や仕込みに妥協をしないのはなぜ?お客さんを笑顔で迎えるのはなぜ?お客さんの様子を気にして細やかな配慮をしようと思うのはなぜ?

妥協のない料理に見せかけるだけ、ウエルカムな雰囲気を醸し出すだけ、気の利く店を演じるだけ、そんな店はいくらでもある。ビジネスなのだから、それが悪い訳じゃない。それで売上・利益を持続できるなら、立派な成功だ。でもそんな店をやりたかった訳ではないはず。それは普段の二人を見ていればわかる。自分達が本当にやりたかった事をやれば、お客さんに支持してもらえると思ったはず。売上・利益を立てられると思ったはず。そしてそれを今やっている。

でも、目の前にちょっとした困りごとがあって、その問題をなんとか片付けたい。それを片付ければ本来の道筋に戻れる。とにかく目の前からその問題がなくなって欲しいと考える。うまいことやる方法はないかとあれこれ考える。

 

大事なことは、うまいことやることじゃない。自分達のやり方で向き合うことだ。とにかくうまいこと片付けたいと思って事に当たれば、いくら装っても関わる人間にはその中途半端な姿勢が必ず伝わる。「ああ、本当はそうだったんだ。」「あれは嘘なんだ。」と。

だからと言ってそれは別に「信念」とか「モラル」とかの問題じゃない。問題によって自分達の姿勢を変えることで、ぐちゃぐちゃになってしまうのがダメなんだ。この店の何を客が支持してくれるのか、一体何が売上・利益を上げていくのかを見失い、持続できなくなる。

店の客は自分のお客。他に誰か社長がいる訳じゃない。店の隅から隅までどんな血を通わせたいか、それを絶えず決め、責任を負っているのは自分達。どんなやり方で解決すべきなのかは、自分達が何をやりたかったのかを思い出せばわかるはず。料理を出すように、お客さんを笑顔で迎えるように、この問題を解決するんだ。

 

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随分と偉そうな話になってしまいましたが、自分の仕事の事を引き合いに出しました。

 

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先日、とあるお客さんからの問合せを受けた。お客さんは難しい事情を抱えていて、その事情に合った物件を探すのはとても難易度が高かった。きっとベテランでも難しいかもしれない。自分は駆け出しで実力が足りないから尚更だ。実際、今まで何件かの不動産会社に問い合わせたが、ほとんど物件は出てこなかったそうだ。

自分はお客さんに合うものを探し回った。電話で何度も何度も事情を確認したりして、他の仕事の合間とは言え相当な時間がかかった。何件か候補を見つけたが、事情が難しすぎてお客さんに合うという自信はない。

手間がかかり過ぎるので、正直に言うと「効率が悪すぎる、それでなくてもアップアップしているのに、他にまわす時間を食われてしまう」と思った。実際にこの件にものすごく時間を取られていた。「お役に立てそうにありません」とかなんとか言って適当にあしらって手を引くことは簡単なことだし、商売なのだからそれもあり得るだろう、と思った。

 

でも、自分が何をしたかったのかを思い起こした。そして思った。成約に至る確率がどんなに低くても、とにかくこのお客さんに対して自分の出来うる限りのことをやろう。決して面倒だと思わず本気で。

候補が何件か見つかり、お客さんと付き添いの人を連れて内見にまわった。条件が厳しすぎるので、候補の物件はとても広範な地域に点在することになり、移動時間がとてもかかった。そしてやはり申込には至らなかった。可能性は低いとは思っていたが、がっかりした。お客さんを連れまわしたのに、ニーズに応えられなかった。

お客さんには、車の中で、自分が駆け出しでよそ者だということを話した。普通の会話の流れで話しただけだ。全ての内見が終わり良い物件がないことがわかった時、自分が駆け出しだから、この難しい件を解決する地力が足りないのだろう、と伝えた。すると、お客さんは後部座席から身を乗り出して、電話で話した時からとても頼りになった、今日見た物件も自分の事情がここまででなければ全て良いものばかりだった、他にもこんな事、あんな事がすごく嬉しかった、と言ってくれた。

有難かったし申し訳なかったが、何より俺は悔しかった。

それは、お客さんの期待に応えられなかったから、だけではない。売上に繋がらなかったからだ。自分はこの仕事を始めるとき、客を選ばないと決めていた。それぞれ違うお客に本気で寄り添うことで売り上げが立つと考えた。出来うる限りの効率化をして、ここに手間をかけようと思った。そうすれば非効率に見える顧客対応からでも利益は出ると考えていた。

忙しくしていても今はまだ全く厳しい。時々、挨拶してまわった先輩業者さんの何人かから「そんなこと止めとけば?」と言われたことを思い出す。親切なアドバイスとして言ってくれたことだ。意地悪な人はそんなこと言わない。でも「やっぱりそういうもんなんでしょうね」と答えながら、「それが普通だとしても俺は違うよ。俺は俺だもの。」と心の中では思っていた。

 

でも、こんな事、こんな想いを繰り返しているうちに、自分に何が足りないのかがわかってきた。間違っているのはやり方じゃない。問題はそのやり方を徹底出来ていないことだ。徹底するための力が足りないことがわかる。その力が何なのかがわかってくる。

やり方を変えるのではなく、その力を付けてもっと徹底するんだ。そうすれば悔しい思いをしなくて済む。

 

何が正しいか間違っているかではない。何が良い事で悪い事なのかということでもない。遠回りに見えても、こうすることが売上・利益につながるはずだと思ったそのやり方をやるしかない。なんだって徹底しないと結果なんか出ないはずだ。それに、そうしないと本当に苦しい時、自分が続けられなくなる。徹底することで続けられる。

思えばサラリーマン時代もその繰り返しだった。きつかったが必死で徹底した。でも、今はもっときつい。以前よりもっと危ない崖っぷちを歩いている。だからこそ一層徹底するしかないんだ。

目先のちっぽけなことを適当にうまくやろうと思った瞬間、道を踏み外す。

 

やるしかないんだよ。自分のやり方で。ちっぽけに見える事もすべて同じ姿勢で。隅から隅まで徹底させるんだ。

 

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ますます偉そうで大げさな話になりましたね。変わり者の大演説です。

 

 

でもシャッターを閉めた閉店後のカフェの中で、3人は真剣でした。

話し終わった頃、2人は少し元気になりました。

そして私も。

 

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griffin

グリフィンです。不動産業もWordPressも関わるようになってまだわずか。それを差し引いてお読みください。コメントはお気軽にどうぞ。

2件のコメントが “目先のちっぽけなこと。隅々まで徹底すること。” にあります

  1. >話し終わった頃、2人は少し元気になりました。
    >そして私も。

    これぞ周旋屋の醍醐味じゃないですか!
    私の大好きなコラムを転載させていただきます。

    周旋
    「人の間を取りもつこと」
    という意味だそうです。
    この周旋のおかげで、
    人間関係が円滑になり、つき合いの輪が拡がっていきます。

    そのためには、ときどき自分を犠牲にしないといけないときがあります。
    それは、時間だったり、お金だったり、
    精神的な苦痛だったりすることもあります。

    それでも周りの人のために、
    犠牲になって奔走してくれる人がいます。
    今までにそういう人のおかげで、
    いろいろな人と仲良くなるきっかけを与えてもらい、
    楽しい時間を過ごしてきました。

    じゃあ、自分にはできるのか、
    よく考えさせられてしまいます。
    けれども、自分の生活ペースを乱したくなかったり、
    精神的な苦痛が我慢できなかったりして
    なかなかそういう人になれません。

    もちろんお坊さんや聖者みたいに
    自己犠牲ができるとは思っていませんが、
    少しでもそういう人になれればと思います。

    1. なにわびとさんがおっしゃるような「周旋屋」として街の人に認めてもらえるようになりたいです。今はまだまだですが、ぶれないでお客さんと関わって行けば、少しはそんな風になれるかも知れません。

      よそからやってきて、街に食べさせてもらう。その分、街に何かを返す。街から何かを収穫するだけではなく、街に次に繋がる種を蒔けるような不動産屋にいつかなりたいです。

      「周旋」のコラム、いいですね。
      なにわびとさん、ありがとうございます。

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